優良品種の海外流出問題について 一般社団法人日本ハオルシア協会 林雅彦
A 流出による被害状況
最近ニュースで時々目にするのが、日本の優良イチゴ品種が勝手に韓国で繁殖・販売され、しかもそれら日本産イチゴを交配した品種を韓国産と称して大々的に輸出しているという話題です。報道によると日本の優良品種の海外流出による被害状況は以下の通りです。
韓国で作られているイチゴ品種は2006年には無断栽培されている日本産品種が80%以であったのに、その後これら日本産イチゴを交配した”韓国産”品種の栽培割合が2021年には96%になり、日本産品種を韓国から駆逐したと自慢しているそうです。
植物新品種の保護は一般に品種登録により行われますが、韓国は品種登録の国際制度であるUPOV条約に2002年に加盟(批准)し、その際、イチゴを2006年までに保護対象とすると表明しています。保護対象となると品種登録すれば育成者の権利が保護されますが、保護対象でないと登録ができず、育成者の権利が保護されません。
しかし韓国はイチゴを早期に保護対象とするよう何度も日本から要請を受けたにも関わらず、UPOV条約の猶予期間(10年)を最大限利用して2012年までイチゴの保護化を延期し、その間に日本産イチゴ同士を交配して”韓国産”品種を育成したというわけです。
この間に日本の育成権者と韓国のイチゴ生産者協会との間で協議が行われましたが、ロイヤリティの条件が合わず、交渉は決裂したままこれら日本産イチゴの栽培は継続されました。この時点では韓国ではイチゴは保護対象ではないので日本の育成者権が及ばず、無断栽培でも法的対処が不可能だったわけです。そして2012年に韓国でイチゴが保護対象となると早速日本産イチゴ同士を交配した”韓国産”品種が登録されています。
品種登録の法制度をうまく利用されたというわけですが、日本の農水省の知的財産課でも「批判があることは承知しているが、知的財産権の制度上、新品種を育成するために利用することには権利が及ばない。」としているようです。農水省の試算では「韓国が他国へ輸出したイチゴすべてを日本産に置き換えた場合の損失額」は5年間で220億円と推定されています。日本のイチゴ輸出額の約4倍もの損害です。
また日本のサツマイモ「紅はるか」も韓国に密輸され、しかも韓国自治体の農業技術センターがそれを組織培養して全国に販売したので、韓国で栽培されているサツマイモの40%が「紅はるか」になっているそうです。さらにこのサツマイモは韓国で「蜂蜜サツマイモ」と呼ばれ、韓国産として東南アジアなどに大々的に輸出が計画されているそうです。「紅はるか」は日本の農研機構が2010年に品種登録していますが、韓国には出願していなかったということで、登録していなかった以上「対応を取るのは困難」と言うことです。
さらに中国でもブドウの「シャインマスカット」は日本の栽培面積の30倍以上、イチゴの「紅ほっぺ」は日本の8倍以上栽培されているといいます。これらも許可なく持ち出されたらしいのですが、2020年12月に種苗法が改正されるまでは登録品種でも販売された後に海外に持ち出すこと自体は違法ではありませんでした。しかも持ち出された国でその品種が品種登録や商標登録されていなければ、繁殖することも販売することも違法ではありませんでした。したがって韓国のイチゴのような例が発生してしまうのです。
B. 日本のこれまでの対策
日本も遅ればせながら優良品種の海外流出対策に乗り出し、種苗法が一昨年に改正されて登録品種の海外持ち出しや栽培に制限をかけられるようになりました。しかし過去に持ち出され、繁殖されてしまった品種については対処できないとされています。
また品種登録の手数料を大幅に引き下げ、海外での出願や侵害者に対する裁判費用などにも補助金を出すなど支援策を大幅に強化しています。しかし品種登録も商標登録も属地主義の制度ですから、国ごとに申請する必要があり、補助金があっても手間や負担は相当大きいです。
さらに農水省では優良品種保護対策の基礎とするために、国内でどんな品種が作出され、流通しているかのデータベースの構築を始めています。これまでほぼ放置状態だった流通品種名を国が中心となって整理・管理しようという重要な一歩です。
品種登録制度では品種名の命名基準が国際栽培品種命名規約に準拠して定められていますが、当会ではこの基準を品種登録時だけでなく、一般の品種の命名時にもこの基準を適用するよう制度化すべきだと農水省に提案しています。
このように優良品種の海外流出問題では日本も手をこまねいているわけではなく、種苗法の改正を始め種々の対応策を講じていますが、知的財産権の範疇では次のように大きな限界があることは明らかです。
(1)まず知的財産権は著作権を除くとすべて属地主義の制度ですから国ごとに申請・登録が必要です。補助金があってもこれは大きな負担です。
(2)次に知的財産権では登録以前に持ち出されたり、繁殖・販売されたものについては何の権利も主張できません。
(3)また商標登録は迅速に登録できますが、先願主義ですから韓国での日本産ブドウ「ルビーロマン」の例のように、先に商標登録されてしまうと手の打ちようがありません。
(4)さらに”韓国産”イチゴのように、日本の登録品種同士を掛け合わせて作った品種でも別品種となりますから農水省の言うように、「知的財産権の制度上、新品種を育成するために(登録品種を)利用することには権利が及ばない。」わけです。
H. indica 大きな半透明窓の美種。淡青色から濃い青緑色まで変異がある。3号鉢。
C. 生物多様性条約の活用
この問題に対して品種登録など知的財産権で対処しようとすると上記のような限界があるわけですが、そこで当会が農水省に提案しているのが生物多様性条約に基づく対処法です。
生物多様性条約は1993年末に発効し、日本も中国もその時からの加盟国です。韓国は1994年10月に批准しています。現在アメリカを除く世界196か国が加盟しており、加盟国はすべてこの条約の規定に従う義務があります。
生物多様性条約には3つの目的があり、①生物多様性の保全、②その構成要素の持続可能な利用、③遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分、となっています。③に関しては名古屋議定書(2014年発効)で遺伝資源取得手続きの詳細が定められています。
ところで生物多様性条約「第2条 用語」では、
「生物資源」には、現に利用され若しくは将来利用されることがある又は人類にとって現実の若しくは潜在的な価値を有する遺伝資源、生物又はその部分、個体群その他生態系の生物的な構成要素を含む。
「遺伝資源の提供国」とは、生息域内の供給源(野生種の個体群であるか飼育種又は栽培種の個体群であるかを問わない。)から採取された遺伝資源又は生息域外の供給源から取り出された遺伝資源(自国が原産国であるかないかを問わない。)を提供する国をいう。
「飼育種又は栽培種」とは、人がその必要を満たすため進化の過程に影響を与えた種をいう。
と規定されており、農園芸作物や畜産動物なども明らかに生物多様性条約の対象であると認められています(環境省の担当者M氏に確認済)。特にこれらの優良品種は人類の生活上、生物多様性の最重要な一部ですから、その対象であることは当然です。
そして生物多様性条約では、それら遺伝資源の取得に当たっては「第15条 遺伝資源の取得の機会」の中で
第1項 遺伝資源の取得の機会につき定める権限は。当該遺伝資源が存する国の政府に属し、その国の国内法に従う。
第4項 取得の機会を提供する場合には、相互に合意する条件で、かつ、この条の規定に従ってこれを提供する。
第5項 遺伝資源の取得の機会が与えられるためには、当該遺伝資源の提供国である締約国が別段の決定を行う場合を除くほか、事前の情報に基づく当該締約国の同意を必要とする。(名古屋議定書第6条1項も同じ規定)
と規定されています。
つまり生物多様性条約の加盟国は農園芸作物を含む遺伝資源の取得に当たって利益配分を含む当事者間の合意(MAT=Mutually Agreed
Terms)が必須であり、かつ遺伝資源の提供国政府の事前の同意(PIC=Prior Informed
Consent)が必要ということになります。
ただし日本国政府は平成29年(2017年)の告示第1号「遺伝資源の取得の機会及びその利用から生じる利益の公平かつ衡平な配分に関する指針」(以下「指針」と言う)4章で、
「(名古屋)議定書第6条1ただし書に基づく別段の決定として、我が国に存する遺伝資源利用のための取得の機会の提供に当たり、同条1に規定する情報に基づく事前の我が国の同意は必要ないものとする。」との決定を行っています。
したがって日本から遺伝資源を取得する場合にはPICは現状では不必要となっています。しかし日本から多くの優良作物の遺伝資源が無断で海外に持ち出されている状況からすれば、この決定(「指針」第4章)は致命的な大失政であった可能性があります。
和牛の精液などの海外流出に対しては和牛遺伝資源関連2法が一昨年施行されましたが、PIC制度があれば和牛に限らず、すべての遺伝資源に対し強力な流出防止策となります。特に精液の持ち出し問題では権利者(所有者)自身が目先の個人的利益のために業界全体に大損害を起すところでしたから、権利者自身の海外持ち出しや持出し用の販売をも規制できるPIC制度は重要です。
上記「指針」は告示後5年目に見直すこととなっており、今年がその5年目です。所管官庁である環境省でも優良品種の海外流出問題に鑑みてこれを改定する意向のようです。
一方、遺伝資源の取得には当事者間の合意(MAT)が必要(生物多様性条約第15条4項)ということは生物多様性条約の規定を待つまでもなく、当たり前のことです。当事者間の合意なく、勝手に遺伝資源を海外に持ち出して利用すことは遺伝資源の明らかな窃盗です。
市場で販売されている植物や果物を買って観賞したり食べたりすることは遺伝資源としての利用ではありませんから、市場で購入して海外に持ち出しても生物多様性条約違反ではありません。しかし権利者との合意なく、その植物体の一部から組織培養などで大量繁殖し、販売することは目的外利用ですから、明白に生物多様性条約違反です。
したがって市販の植物でも遺伝資源として無断で海外に持ち出したり、それを繁殖して販売したりする行為は生物多様性条約違反ですから、日本国政府は相手国政府に対してそのような違反行為(繁殖・販売)の是正(停止)を求め、遺伝資源の所有者(権利者)に利益配分(損害賠償)するよう求めることができます。
優良品種の海外流出問題を知的財産権で対処しようとすると前記(1)から(4)のような限界があるわけですが、生物多様性条約で対処すれば、
(1)多国間条約なので、多数の国に個別に品種登録や商標登録を行う必要はない。
(2)相手国の条約加盟(中国1993年、韓国1994年等)後の流出、持出しなら品種登録や商標登録の有無にかかわらず遺伝資源提供国として権利(栽培、販売の停止と利益配分)を主張できる。和牛やコシヒカリ等も流出時期によっては対象となり得る。
(3)相手国で先に商標登録されていてもそれに関係なく権利(栽培、販売の停止と利益配分)を主張できる。
(4)交配によって作られた別品種であっても親品種が日本産なら日本の遺伝資源の利用になるから日本の権利(栽培、販売の停止と利益配分)を主張できる。
(5)遺伝資源の提供に関してその対象や範囲を定める権限は提供国政府にあるので、「紅はるか」のように遺伝子の改変を伴わない単純増殖でも権利対象とすることができる。
このように優良品種の海外流出問題に対し、生物多様性条約は知的財産権で対処するよりはるかに強力かつ広範囲に権利を主張できます。ただし生産者や育成者、育成機関、あるいは自治体などが相手国に対して生物多様性条約違反だとしてその是正を求めるのは難しく、やはり日本国政府が前面に出て相手国に是正や協議を強く申し入れる必要があります。
優良品種の海外流出を生物多様性条約違反だとしてその是正を求めるのはおそらく世界初ではないかと思います。しかし日本は世界有数の優良品種王国であり、優良品種海外流出の最大の被害国です。知的財産制度の不備を狙って他国の優良品種を盗み出し、自国農業の主力産業にするような国には生物多様性条約の諸規定を最大限利用し、条約違反の是正(栽培や販売の停止)と利益配分(損害賠償)を強力に要求すべきです。
優良品種海外流出問題ではこれまでの知的財産権制度を基にした対処法では限界があり、日本国民の大部分はその限界のために「法的には対処できない」現状に納得していません。生物多様性条約はこの問題に対してそれらの限界を突き破る、ゲームチェンジャーになる超強力な法的ツールです。日本国政府には早急にこの強力なツールを活用し、中国や韓国に生物多様性条約に基づく申し入れや協議を行っていただきたいと思います。
これらの国が生物多様性条約の違反状態の是正(栽培や販売の停止)や利益配分(損害賠償)に応じなければ、生物多様性条約第27条に規定されている仲裁や調停、あるいは国際司法裁判所への提訴を申し立てることができます。それにも応じない、あるいは結論に従わない場合(これらの国には前例あり)には経済制裁などの強力な報復措置を取るべきです。
H. neolivida n.n. リビダ似の新種。 「パトリシア」リビダ系交配。半分以上窓。
D. 商標登録による保護
優良品種海外流出問題に生物多様性条約で対処することが確立されるまでには数年はかかるでしょうから、それまでは現行の知的財産権で対処する必要があります。
知的財産権の内、品種登録は実体審査を行うので審査期間が長く、早くて3年、おおむね5年近くかかります。しかしこれではイチゴなど、品種改良のスピードが速いものでは品種としての旬を過ぎてしまいます。そこで最近は審査の早い商標登録で新品種を保護する動きが広がっています。ただ、商標法では名前を変えて販売されると対処できないと思われているので、多くの場合、商標登録に加えて品種登録も併せて申請するケースが多いです。
しかし農園芸の優良品種の繁殖品、特に組織培養などによる無性繁殖品は繁殖元個体とどのような形、大きさ、味の果実が実るかなど形質が遺伝的に全く同じですから、一般工業製品で言うところの「デッドコピー」に当たります。
また商標の機能としては「出所表示」機能、「品質表示(保証)」機能、「広告宣伝」機能があるとされています。一般工業製品においては製造に一定水準以上の設備や材料が必要ですから、製品の品質を保証するのはどのような製造会社が製造しているか、どんな販売店が販売しているか、などを示す「出所表示」が重要だとされています。
しかし農園芸作物では無性繁殖により誰でも容易にデッドコピーが作れるために商標(品種名)に出所表示機能はほとんどなく、その機能はもっぱら「品質表示」となります。実際、消費者が購入判断の基準とするのは生産者や販売店の名前ではなく、どのような花が咲くかなどの「品質表示」をしている品種名です。
このように農園芸作物では品種名はもっぱらその作物の品質内容を表示しているので、一般に流通している品種名を勝手に変えて販売すると消費者はその品質内容を誤認する恐れが高く、不正競争防止法第2条1項20号の誤認惹起に該当します。
また商標登録されているような農園芸作物は著名な人気品種であることが多く、そのような商品の名前を勝手に変えて販売することはむしろ詐欺行為です。一般の工業製品で商標登録されている著名な人気商品にそっくりのデッドコピーを作り、その名前を変えたり、無名で販売すればもちろん犯罪となります。実際そのようなケースで逮捕されたと言うニュースは毎年のように目にします。農園芸作物なら違法でないと言うことはあり得ません。
ハオルシアはここ20年ほどの間に日本で開発された世界的人気園芸植物です。しかしその優良品種が勝手に海外に持ち出されて繁殖され、日本や第三国で大量に販売されるので、日本国内の生産者が大打撃を受けているのはイチゴやブドウと同じ構図です。
ハオルシア優良品種の多くは日本で商標登録されているのですが、日本の輸入業者らはその品種名を勝手に変え、別品種、あるいは新品種であるかのように装って販売しています。
しかしもちろんこれは不正競争防止法違反です。したがって警察による不正競争の取り締まりが厳正に行われれば品種登録をしなくても商標登録だけで優良品種の保護が相当程度可能になります。
E. 警察の対応
そこで当会は商標登録品種の別名販売に対して愛知県警に相談しました。しかし県警では検察とも協議した結果、「不正競争防止法違反の疑いはある。しかし判例がないので、警察が先に司法判断を下すのは避けたい。民事裁判で不正競争防止法違反が認定されたら改めて立件の可否を検討する。」という返事でした。
確かに、一般に流通している品種名を勝手に変えて販売する行為はほとんど詐欺ですから、これまでそのような事例(判例)はなかったかもしれません。しかし司法判断を待つという愛知県警の対応にはいささか疑問があります。
裁判は早くて1年、控訴されれば確定するまで最低3年はかかります。ハオルシアでもイチゴでもブドウでも優良品種の更新は非常に早く、3年もかかっていたら被害は大きく拡大し、新品種の旬も過ぎてしまいます。
警察が「不正競争防止法違反の疑いがある。」と判断したのなら、まずは捜査して立件し、その上で黒白は裁判所の判断にゆだねるというのが本来の警察行政の在り方ではないかと思います。時間の経過とともに被害が拡大して行くのが明らかなのに、判決を待つというのは悠長に過ぎます。
愛知県警は昨年「鬼滅の刃」を連想させる商品を販売したとして販売会社の社長らを逮捕し、検察は不正競争防止法違反で起訴しています。この商品は「鬼滅の刃」で使われていたデザイン(市松模様など)に「鬼退治」、「滅」などの文字を添えたもので、不正競争防止法違反に当たるかどうかはかなり微妙です。被告は無罪を主張していてまだ裁判中です。
このように微妙な事件でも警察が立件したのはこの商品が全国に大量に販売され、影響が大きいので放置するわけにはいかないと判断したためと思われます。
一方、ハオルシアは市場規模の小さい園芸植物ですが、商標登録された人気商品のデッドコピーが名前を変えて大量に売られている点では、「鬼滅の刃」連想商品より不正競争防止法違反の疑いははるかに濃厚です。
また商標登録された商品のデッドコピーを名前を変えて大量に販売する行為を取り締まることは、ハオルシアやイチゴ、ブドウのみならず、他の農産物でも海外で違法繁殖された商品が逆輸入され、名前を変えて販売されて国内市場を侵食することをも防ぐという大きな波及効果があります。
さらに品種名を勝手にコロコロ変えて販売する行為は市場や消費者を混乱させるだけでなく、農水省が始めた農産物品種名のデータベース作成上も大きな支障となります。
愛知県警でもぜひこれらの点を考慮して、登録商標商品の別名販売の不正競争防止法違反での立件に踏み切っていただきたいと思います。
なお、この記事を気に入った方はぜひ拡散をお願いします。
H. nortieri 「夕映え」3号鉢。 H. heroldia n.n. 大型単頭性個体。3号鉢。